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その1 若松でシナロケの鮎川ファミリーに会った夏 (1983.8)北九州の方なら御存じのタウン誌「おいらの街」は、今やしっかり有限会社になっておりますが、1983年の時点では、まだまだ発展途上という感じで、けっこう「助っ人」という名のボランティアというか、タダ働きの大学生とか社会人とかが激しく出入りしている編集部でした。物好きで根がミーハーな私も「熱心な一読者」から「助っ人」への道をたどり、通常の会社勤めを終えた5時以降、または土曜日など、当時の編集部があった小倉南区城野のアパートまで、せっせと通っておりました。 お盆も間近のとある土曜日、編集部に行くと、「あっ、さっきね、若松の、ほらアンタが好きな、えーっとド忘れした、今、里帰りしてるけど会いますか?って、お父さんから電話があったんだけど、行ってみる?」とスタッフの人が言うではありませんか!!「若松....?ええっ!!それ、もしかしてシーナ&ロケットのシーナさんのこと?」「あー、そうそう。」当時、市内の街を手書き地図で紹介するページがあり、ちょっと前に若松を取材したスタッフが、シーナさんのお父さんに会って (確か実家はお店やさんだった)「盆・正月とか帰ってこられるんですか?」「帰ってくるよー、もちろん。」「えー、じゃあ、今度帰ってこられたらゼヒお会いしたいですー。」なんて会話を交わしてきていたのでした。で、律義なシーナさんのお父さんが「お盆でシーナとマコちゃん帰ってきとるけど。」と、わざわざお電話下さった訳です。ここで一応、編集部の名誉のために書き添えておきますと、その時、編集作業の追い込みで皆、とても殺気だっていて、とても外出する余裕なんてナイナイ!!という雰囲気でした。で、そのオイシイ話は私がさらって、早速「これからお邪魔してよいですか?」と若松のシーナさんちに電話して、若戸渡船で若松へと向かった訳です。指定された喫茶店エルという店で待っていたら、きゃー、本物の鮎川さんが!!「あっあの、お休みのところスミマセン、あの、これ、お子さんに」と城野のダイエーであわてて買っていった菓子折りを渡すと鮎川さんは「おー、気ぃつこうてもろうて。わざわざ来てくれて、ありがと。」と、もうこちらが恐縮するくらいの丁寧な応対。それからは、何話したか覚えてないほど、ボーッと夢見ごこちのひとときでした。私のシナロケ体験記というか、「初めてシナロケのLIVEを見たのが若松でのアマチュア・バンドのコンテストにゲストで来られたときで、その時、うぁぁぁぁ!!と参ってしまって、それから北九州大学での学園祭に来られたときも行きました、それまで洋楽とか全然疎かったけど、シナロケを入り口にストーンズとか聴くようになったんですよー。」てな話を、しどろもどろには話したら、鮎川さんは、ニコニコして「そうねー。」とか言って聴いて下さったように記憶しています。一番強烈だったのは(音楽の話じゃなくてスミマセンなんですが)「若松に帰ってこられたときとか、何されてるんですか?」と、とってもミーハーな質問をしたら「あちこち、けっこう出かけるよ。市民プールとか。」「ええっ、市民プール?」「そうそう、若松の市営プールは高塔山のてっぺんにあって、眺めも良くて、気持ちよかよー、安いし。知っとる人だけが知っとる、スペシャルな場所やね。子供達と、よく行くんよ、カッパもおるしね。」(注/若松にはカッパがいるという民話がある...のです、確か。私も他所者なので、あんまし知らないが。)と言われて、憧れのロックンローラーの鮎川さんからカッパという単語が出るとは思わなかったので、どうリアクションしていいものか、戸惑ってしまい、「カ、カッパですか....」とオウム返しの私でありました。 そうこうしているうちに、双子のお嬢ちゃん二人(当時、多分5才くらい。)が、にぎやかに店に入ってきて「おおっ、噂には聞いていたけど、ホントに双子だー!!しかも、とってもカワイイやん!!」と思っていたら、出てきた言葉が「マコちゃん、こんな所におったんかー!!探したんぜぇー!!」と、バリバリの若松弁で、ちょっとビックリ。そしてボックス席のお父さんの隣りに、よいしょ、よいしょと二人で座って、パッとメニューを開くやいなや「私ねー、このパフェ」「私はねージュース」とか言いだして、いやはやお子さまパワー全開!!人見知りなんて全然なし。鮎川さんも「コラッ!!お前たち、さっき夕飯食ったやろーが。」とバシッと言っていて、あー、お父さんしてるなー、とか思って見ていたら、そこに「こんにちわー」とシーナさんも入ってきて、うわーーーー本物のシーナさんまで!!ファミリー勢揃いやん!!と、目眩がしそうに しあわせな気分の私でした。それから、シーナさんとも、いろいろとお話して、ファミリーに見送られながら、 若松を後にしたのでした。
(追 記) 更に、その半年後、シーナさんが産休でお休み中で、 「ザ・ロケッツ」名義のアルバム「ロケット・サイズ」がリリースされた時。 そのプロモーションで来福の際、インタビューの依頼の電話が編集部にかかってきました。 その時も、ラッキーにも、その場に居た私は「行く行く!!行かせて下さい!!」と 電話の横で叫んで、編集長が「じゃあ、以前お会いした事がある○○という者を行かせますので。 」と言ったところ、電話してきたマネージャーさんの隣りには鮎川さんが居たらしく 「あー、覚えとうよ。」と言ってくれたらしくて「じゃ、お宅のインタビューを一番 始めにしましょう。」と相成った訳です。あー、なんとラッキーな!! |